私の名はジェイコブ一郎。
“コブ星”に住んでいる。
▲コブ星人“ジェイコブ一郎”
「頭」の毛が薄くて当たり前のコブ星に住む私にとって、人間の頭髪の量が私たちより多いことや、彼らが毛の量を気にすることが不思議でならない。
私はこの疑問に立ち向かうべく人間の「毛」について調べている。
今まで、人間の髪に対する特別な感情や文化、ユニークな人毛活用法などを、抜け毛の理由などを調べて紹介してきた。
今回は、人間がこだわっている「髪」をあえて「剃る」「切る」ことに焦点を当てて、それらの文化的意味合いや理髪師について調べた。
<今回分かったこと>
・髪を剃る=「相手への服従」「俗世との絶縁」の証
・河童は「聖ペテロ式」聖職者の髪型
・知らぬ間に髪を切る妖怪
・理髪師は何でもできる情報屋だった
髪を剃る=「相手への服従」「俗世との絶縁」の証
人間とは不思議なもので、髪を大切にする習慣もあれば、「剃る」習慣もある。
例えば日本では宗教にもよるが出家の時に髪を剃った。
丸坊主は「浮世を捨てる」証だった。同時に、仏弟子になったことも示す大切な行事だ。
更に同じ意味合いから、亡くなった人に成仏してもらうため、死体の頭を剃った時代もあるという。
世界的に見ると、髪を「剃る」文化的意味は大きく2つある。
1つは「相手への服従」の表明だ。
古代ローマ人は征服した民族たちの髪とひげを剃り落とした。
中国では、「清」の王朝が成立した時に満州族の弁髪(頭髪を剃り、後頭部だけを長く伸ばして編み、背後に長く垂らす髪型)を強要した。拒否する者には死刑とされ「頭を残す者は、髪を残さず。髪を残す者は、頭を残さず」とまで徹底された。
もう1つは、自発的に毛髪を剃り落とす行為で、「身を清め俗世との関係を絶つ」決意を表す。日本の出家はこちらの意味合いが強い。
インドの僧侶は、髪の乗り具合で俗世との絶縁レベルを表した。
彼らのうち、頭に髪1房しかない人は「控え目な性生活」を、全部剃り落とした人は「独身」を、5部刈りじゃ完全な絶遠を意味した。
スリランカの仏教徒や、ローマカトリックでも聖職者は髪を剃ることを求められてきた。
河童は「聖ペテロ式」聖職者の髪型
髪を剃ることを求められたカトリックには剃り上げ方で名前が異なった。
頭の中央だけを剃るのは「聖ペテロ式」、全部剃るのは「聖パウロ式」と言う。
ペテロは漁師出身の聖人、パウロはユダヤ教信徒だった聖人なので、厳しい戒律のあるユダヤ教の影響でより髪を綺麗に刈ったと言われる。
ちなみに、江戸時代に流行した妖怪「河童」は、西洋から訪れた「聖ペテロ式」宣教師に影響を受けていると言われる。日本人から見れば、真ん中だけ髪がないヘアスタイルは奇妙なもので、それが妖怪(河童)と見間違えられたという。
本当にそうであれば、宣教師が強欲の河童と同一視されたのは皮肉なことだ。
知らぬ間に髪を切る妖怪
髪を切ると言えば、妖怪やお化けとしても幾つかの話がある。
江戸時代には、夜に「髪切(かみきり)」という妖怪が出没したと言う。
姿は見えない妖怪だが、夜中に外を歩いている突然、髪の毛が切られている人が続出した。
被害を受けるものの自覚はなく、「ちょんまげ」が切られていたり、女性の髪が短くなっていたり。これはほぼ全国的に発生したと言われる。
ただ、被害者の多くに共通しているのは「髪が重要な立場だ」ということだけだ。
「ちょんまげ」は武士にとって大切なものだし、上流の女性が髪を落としてしまうと「世俗を捨てる」ことを意味する。単なる妖怪話としてではなく、「特権階級がその力を喪失する」という意味で語り継がれたのだろう。
ちなみに、カミキリムシの名前の由来は「髪(毛)切り虫」とも言われる。知らぬ間に葉や髪を切ることができる、あの顎から、この妖怪と重ねられたのだ。
理髪師は何でもできる情報屋だった
髪を切ることを生業としているのが理髪師だ。
現代では、理髪師というと髪を切り、髭を剃る職業と思われがちだが、当時は違った。
1568年フランクフルトで刊行された「職人絵尽」によると理髪師は「生傷、古傷、骨折を治す」「万能軟膏を作る」「性病を治す」「眼病を手術する」「虫歯を治す」…と書ききれないほどの役目を追っている。
理髪師はなんでもできる当時のヒーローだったのだ。
それだけに彼らは情報通でもあった。
情報通だけに、いろいろな噂話をするため「バーバー(理髪師)」は「お喋り」の代名詞だった。
また、有名な童話「王様の耳はロバの耳」でも、ロバの耳になった王様の話を穴に向かって叫んだのは理髪師だ。万能だからこそ、他の人では知りえない情報を持つ理髪師は今では考えられないほど特別な存在だったのだ。
【ジェイコブの気づきと疑問】
■剃る意味は、自我を捨てることか
人間にとって「髪を伸ばす」ことに意味があれば、「髪を剃る」ことにも意味があるのは、自然のことだ。
「髪を剃る」意味が「相手への服従」であれ、「俗世との絶縁」であれ、いずれにしても自我を捨てるような意味合いに感じられる。敵に服従するのか、神に服従するのかの違いではないか?そう考えると「自分=髪」ともとらえられる。
■なぜ、あえての河童スタイルに?
あえてスキンヘッドにして男前な人間を見るものだが、河童のような「聖ペテロ式」を自らしている人間は見たことがない。なぜ彼らは、全剃りではなく中央だけ剃るというアイディアにいたったのだろうか…。少しでも残しておきたかったのか?
■昔の理髪師に感服
理髪師が医者、歯医者、眼科医、薬剤師のような役割までやっていたとは驚きだ。現代社会ではこれらの1つの職種に就くのでさえ難しいというのに…。
ここまで万能なら、情報通でおしゃべり好きなぐらいは当然の特権かもしれない。
今回は、存在意義や文化を調べてきた「毛」「髪」を「剃る」「切る」視点で調べ物ができて理解が深まった。
次はどんな毛の事実に出会えるのか。まだまだ旅は続く。
<今回の学習元>
「髪の文化史」荒俣宏(潮出版社)
Wikipedia
<過去の記事>
第3回:異星人ジェイコブの「なぜ人間は薄毛対策にこだわるのか」髪の毛の謎に迫る旅 その3 ~カツラは衛生的な証?~
第4回:異星人ジェイコブの「なぜ人間は薄毛対策にこだわるのか」髪の毛の謎に迫る旅 その4 ~人より髪を愛すフェチも~
第5回:異星人ジェイコブの「なぜ人間は薄毛対策にこだわるのか」髪の毛の謎に迫る旅 その5 ~毛の美術品~
第6回:異星人ジェイコブの「なぜ人間は薄毛対策にこだわるのか」髪の毛の謎に迫る旅 その6 ~斬新!?人毛活用法~
第7回:異星人ジェイコブの「なぜ人間は薄毛対策にこだわるのか」髪の毛の謎に迫る旅 その7 ~抜け毛で体温調整~