タイアップ提供:セントラル短資FX
みなさん!こんにちは!新人フリーライターの小林です。
先輩からFXに関する連載記事を初めて任されることになった僕は、アドバイザーとしてセントラル短資FXの小倉さんにお話を伺うことにしました。
どうやら、前回のクイズで僕の政治・経済の知識は、スライムを倒すのに10ターンかかるくらいのレベルとわかりました。そこで、小倉さんにやさしく教えてもらいながら、みなさんと一緒に学んでいきたいと思います。
日々変わる政治・経済のトレンドを追うのも大切ですが、過去の歴史を知ることも大切です。
押さえておくべきキーワードをチェックしながら、歴史上の重要な出来事をピックアップして、時代の流れを追っていきましょう。
○○ショックはリーマンだけじゃない!?1980年代、日本のバブル経済崩壊の発端となった出来事とは。
世界恐慌はなぜ起きたのか!? ピンチをチャンスに変えた投資家がいた。
「世界大恐慌」は、中学生の時に習った気がします。たしか、まず、アメリカが不況になって、その影響で世界中が不況になったんですよね。
簡単に言うとそうですね。当時から、世界経済の中心はアメリカでした。そのアメリカの株価が大暴落したのをきっかけに、アメリカの銀行が倒産。企業も倒産し、失業者が溢れました。アメリカの経済が破綻すると、当時、アメリカの資本で復興を目指していたドイツやオーストリアにも影響が出ます。さらに、ドイツから第一次世界大戦の賠償を受けていたイギリスやフランスも大不況に見舞われました。このように、アメリカを中心に世界恐慌が起こったんです。
日本はどうだったんですか?
日本は、大戦による好景気の一巡や関東大震災などにより世界恐慌の前からすでに不景気でした。
そこに世界恐慌がやってくるなんて、運が悪いですね・・・。株価の暴落で、利益を出す人はいなかったんですか?損をする人もいれば、得をする人もいたと思うのですが…。
実は、アメリカでは4000億円以上の利益を出した人がいました。それが「ウォール街のグレートベア」の異名を持つ、ジェシー・リバモアです。彼は、暴落の1カ月以上前から空売りを行っていました。このままではニューヨーク市場が崩壊してしまうと考えたJ・P・モルガンが、これ以上売りを行わないように頼んだという逸話もあります。
影響力のある投資家だったんですね。
ジェシー・リバモア曰く「最も重要なのは、絶好の時が来るまで静かに座っていること」だそうです。
ブレトンウッズ協定がもたらした「固定相場」
ブレトンウッズ協定のブレトンウッズさんはどんな人だったんですか?
ブレトンウッズというのは人名ではなく、アメリカにある町の名前なんです。連合国44カ国で会議をし、協定が結ばれました。通貨の価値を安定させるため、金1オンスの価値を35ドルに定めて、ドルと各国の通貨の交換比率を決めました。このとき、世界の金の2/3がアメリカにあったと言われています。このとき採用された「固定相場」では、日本円は1ドル360円に固定されました。「円の一周が360度だから1ドル360円になった」というジョークが有名ですね。
みんなで話し合って決めたんですね!でも、今は1ドル110円(2018年5月現在)くらいだし、固定相場じゃないですよね。いつまで続いたんですか?
それが、1971年のニクソン・ショックまで続きました。アメリカのニクソン大統領は、ドルの価値を守るために金とドルの固定比率での交換を突然停止したのです。これにより、固定相場制が崩壊し、現在の変動相場制へと移っていきます。
どうして、金とドルの固定比率での交換を停止したんですか?
ブレトンウッズ協定は、圧倒的な経済力を持つアメリカのみがドルと金との交換を保証することで、基軸通貨として世界経済の安定、成長に寄与することが前提になっていました。しかし西欧や日本の戦後経済が急速に復興し、各国がドルをアメリカの金と交換する動きが加速したため、アメリカの金の保有量が激減し、アメリカの経済力や競争力も減速していきました。貿易収支は赤字に転落し、ベトナム戦争等による財政収支も大幅に悪化しました。小林さん、こんな状態でドルは基軸通貨としての役割を果たせ続けられますか?
難しいですね。アメリカは何とかしなくてはならないと感じます。
アメリカがもはや金に裏打ちされたドルによる世界経済を支えることが出来なくなったと宣言、それがニクソン・ショックです。
それから変動相場制になっていくんですね。
ニクソンの有名な発言にはこんなものがあります。「人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ」
そのニクソンがブレトンウッズ協定を終わらせたんですね。
参考資料:『FX取引の王道 外資資産運用のセオリー』大西知生
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