古今東西、美容マニアと呼ばれる人々は数多くいます。しかし、美容マニアどころか人生が美容のためにあるような生き方をし、「美しくなければ生きている意味がない」などというセリフを常日頃から呟きつづける女性もおりました。
19世紀半ばのオーストリア=ハンガリー帝国の皇后、エリザベートなどはその典型例です。
▲エリザベート(エリーザベトという表記も)
若い頃から美女として有名で、「もっとも美しいハプスブルク家の皇后」と呼ばれていたエリザベートでしたから、彼女の美へのこだわりは、ただのナルシシズムだと思われるかもしれませんね。
しかしエリザベートの異様な美容熱は、エリート一族にひょんなことで嫁ぐことになった、彼女のシンデレラの影の部分だったともいえるのです。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝一族であるハプスブルク家に嫁ぐ予定だったのは、エリザベートではありませんでした。優秀で生真面目なエリザベートの姉だったのです。
ところが姉のお見合いに、いわば付き添っただけの妹エリザベートに、白羽の矢が立ってしまったのですね。エリザベートを見初めたのは若き皇帝フランツ・ヨーゼフ。
そして、フランツ・ヨーゼフはこれまで一度も背いたことのない母ゾフィーの猛反対を押し切って、エリザベートとの結婚にこぎつけてしまったのです。
それもあって、嫁・エリザベートに対する姑・ゾフィーのまなざしは冷淡でした。
▲ゾフィー大公妃
エリザベートのことは「大事な我が子をたぶらかした、キレイだけが取り柄の憎い女」くらいとしか思えない感じなんですね。
エリザベートは公衆の面前で、ゾフィーから容姿を酷評されたこともあります。
ゾフィーは笑顔を見せたエリザベートに、「あなたの歯は黄ばんでいて汚いわね!」と突然、言い捨てたのです。エリザベートはそれ以来、人前であまり笑わなくなりました。
毎日がこういう調子で、エリザベートがフランツ・ヨーゼフの子どもを何人も授かっても、姑とのパワーバランスは回復しませんでした。
それどころか夫婦の子どもたちは皆、姑の手元に集められてしまいます。エリザベートは母親として子どもを育てる権利すら奪われていたのでした。
エリザベートはこんな生活の中で自分の価値を見失い、姑の言葉通り「自分の価値は若く、美しいことくらいしかない」と思い込むようになっていったようです。
嫁姑問題がいつしか産んだ美への「狂気」
現代日本でも「お肌の曲がり角」といわれる30歳を過ぎてから、エリザベートの美容への執着は高まる一方でした。実際に、老いの恐怖を感じ始めていたのだと思われます。
1日のうち何時間も美容に費やしたエリザベートの美容法は、髪のケア一つとっても鬼気迫るものがありました。
エリザベートは床に届くほど長く豊かな自分の黒髪に絶対的な自信をもっていました。毎日、女官にブラッシングさせてケアしているだけでなく、洗髪にもたいへんな注意が払われていたのです。
しかし19世紀中盤のヨーロッパでは、いかにハプスブルク家の皇后とはいえ、現代のように街のドラッグストアやネットショップで簡単に良質なシャンプーが手に入るわけではありません。
彼女が髪を洗う時に使っていたのは手作りの薬剤でした。そのレシピが残されていますが、これが驚愕なのです。
メインの材料は最高級のフランス製ブランデー20本と卵30個分の卵黄。これらを掻き混ぜ、そこにタマネギの汁とヴァニラの強い香りのする「ペルー香油」が加えられた液体で、エリザベートは侍女たちに髪を洗わせました。
その後、髪を乾かす時にも厳格なルールがありました。エリザベートの侍女たちは全員白い衣をまとい、床には白い布が敷き詰められます。なぜかというと抜け毛の本数を数えるためなのですね。エリザベートはなんと、抜け毛の数を毎回記録させていました。
洗髪作業の中で、抜け毛の本数が少なければ少ないほど御機嫌。
しかし、もし、抜け毛が多ければ、侍女に手をあげるほど荒れ狂ったのでした。
そんなエリザベートには、肌の手入れにも驚きの「お約束」がありましたが、これはまた機会を改めてお話ししましょう。
「ずっと美しくありたい」と願う気持ちは誰の心の中にでもあります。しかし加齢によって変わっていく容貌と、変わっていく自分をひたすら罰するようなエリザベートの美容法は決してマネしてはいけないものだと思われてなりません。
まぁ、髪を洗うたびに「最高級のフランス製ブランデー20本」なんて庶民にはとてもマネできませんけどもね!