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2019.02.27

元祖、トランスジェンダー…? ”男として生きたかった”マリアの話
〜堀江宏樹の世界ビューティー迷子録(10)

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ヨーロッパの歴史の中には、男性として生きようとする女性たちの姿がしばしば見受けられたようです。

 

今回のお話の「ヒロイン」、マリア・ファン・アントウェルペンは、オランダのブレダという街に1719年、生まれました。父親はもともとブランデー製造業者でしたが、事業の儲けよりも大家族を養うためにかかる経費のほうが大きかったため、困窮。落ちぶれた両親はマリアが12歳になるまでに立て続けに亡くなりました。

 

その後、叔母のもとに引き取られたマリアですが、折り合いが悪く、叔母の家を飛び出します。しかし、とくに特殊な才能があるわけでもない庶民の娘・マリアにできることといえば、メイドくらいしかなかったようです。その仕事をマリアは嫌っていたと推測されます。

 

1746年、クリスマス休暇が過ぎてもマリアは雇われた家庭に帰ってこず、それが原因でメイドをクビになってしまいました。

当時、マリアは28歳。婚期はのがしているし、結婚できる恋人もおらず……途方にくれたマリアは髪をバッサリと切りおとし、男物の服を纏うことにします。定住できる家がない状態で、女性の姿のままでは襲われる危険があったからでしょう。

 

しかし、男装したところで、女性だとバレてしまう危険性はなかったのでしょうか?

 

一説に、当時は生まれた性別によって、まとうべき服、あるべき姿が厳格にきまっていました。つまり、マリアのように髪の毛は短くボサボサにしていて、パイプをふかし、ズボンを履いているのは庶民の青小年しかおらず、誰もマリアの正体を疑わなかった……そうですよ。

 

男装開始、そして軍隊へ……

マリアは自分の体型を「女性としては例外的に頑丈だった」と「自伝」に書いています。それは男性とのロマンスや結婚には有利には働かなかったかもしれませんが、男装者として生きていくにはアドバンテージとなりました。その後、しばらくして彼女は「ヤン・ファン・アント」という偽名を用い、27歳の女性なのに16歳の少年だと偽って軍隊に入ってしまうのです!

 

それにしても少年兵として本当にうまくやっていけたのでしょうか……。マリアいわく「男装して鏡を覗き込んだとき、自分がハンサムな少年に見えた」そうですが。

 

男装したマリアの「自由で率直な性格、そして美しい身体が気に入った」陸軍中将がおり、軍の中でマリアは昇進を重ねたそうな。

 

マリア、なんとなく確信犯な気がします。

 

マリアは後に有名人になっており、彼女のカッコよさを称えるバラードが作られたそうです。それによると「彼(上官)が見つめる(略)これ以上美しい少年は見たことがないと」……というような瞬間もあったそうです。

 

あやしい。

 

軍隊での夜の「予防策」

一方で、上司や同僚と親密すぎる関係になることをマリアは避けようとしていました。

当時、下っ端の兵士たちは一つのベッドに二人かそれ以上で眠ることになっていましたが、マリアは絶対に服は脱がずに予防線を張っていました。

 

まぁ……マリアは「自伝」の中で「私の清純な心がそれを口にすることなど許さないような、ある予防策をとっていた」とも、怪しいコメントをしています。

ゲスの勘ぐりですが、自分の正体を明かす兵隊を何人か作っておいて、彼らとは内密に(なんらかの)関係を持つことで、マリアが本当は少年ではなく女性であるということがバレないようになんとかしてもらっていた……と考えたほうがよろしいのかもしれません。

 

(なお、当時のヨーロッパ各地の娼館では、少年の扮装をさせた若い女性がエロティックと人気になったという記録も多々、あります)

 

というのも下っ端の兵士には男性でもしんどいような重荷を扱わねばならない仕事が多く、マリアの頑張りだけでは、とても乗り切れなかったでしょうから。

あるときは「男」、あるときは「女」……自分の魅力を駆使し、サバイバルするマリアの姿が想像されます。

 

1741年、マリアは男性としてヨハンナ・クラメルスという軍曹の娘と結婚しています。軍曹から娘婿として認められたわけですから、マリアには男性としての魅力があった「証明」になるでしょう……。

 

  

 

 

しかし性生活はマリアが「鬱」とか「実は病気があって」などという理由で3年にもわたって行われませんでした。ついにマリアの正体が女だとなぜかバレてしまったのが3年目のことで、マリアの生まれ故郷・ブレダの裁判所で、追放刑が宣告されました。

 

当時、自分の性をいつわって同性と結婚することは、処刑されてもおかしくはない行為でしたが、それが理由で処刑された者たちは、実際は「ほとんどいなかった」ともいいます(『兵士になった女性たち』)。

 

同性愛もしくは、相手を騙して同性と結婚するのは「罪」というキリスト教的なモラルは存在していたでしょうが、それに犯罪が絡まない限りは見逃される例のほうが多かったように筆者には思われます。

 

というのも、この記事を書くために何冊か、この手の男装して暮らしていた女性たちについての専門書を読んでみたのですが、いずれも犯罪に関与し、裁判所の世話になった女性の記録ばかりなのが目について、これは「裏」があるなと感じたからです。みなさんはいかがお考えでしょうか。

 

さて、その後もマリアは男装の姿をとりつづける期間が多く、別の女性と再婚しています。三回目の軍隊勤務中に喧嘩して逮捕され、正体が判明、追放刑を受けた後に詳細がわからなくなりました。1781年、生まれ故郷のブレダで亡くなったという記録があるだけです。

 

堀江宏樹

この記事を書いた人

堀江宏樹

歴史エッセイスト。日本、世界、古代、近代を問わず、歴史の持つ面白さを現代的な視点、軽妙な筆致で取り上げている。 近著に『乙女の日本史』シリーズ(KADOKAWAなど)、『本当は怖い世界史』『本当は怖い日本史』『ときめく源氏物語』(三笠書房)、『偉人はそこまで言ってない 歴史的名言の意外なウラ側』(PHP研究所)など。 7月下旬に新刊『本当は怖い世界史 戦慄篇』が三笠書房から発売予定。

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