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価値観 2019.01.24

世界を変える人が拓く道 ~【藤城 清治】影絵に鮮やかな色と動きを与え続ける94歳~

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視覚で味わう芸術の基本は「光と影」だ。

 

絵、写真、建築、彫刻・・・。

モノクロだったとしても光と影さえ操れれば、感動を生むことが出来るし、「色」だって波長で変化する光が生み出すものなのだから。

 

この「光と影」を操ることにフォーカスした芸術が「影絵」だ。

小さい頃、手で作ったキツネ、白鳥、ウサギなどの影絵は、シンプルながらも色々な形になることが面白くて心躍らされた。

 

 

そんな影絵の第一人者と言えば、「暮しの手帖」「朝日新聞」「中央公論」の連載、キャラクター「ケロヨン」、数々のテレビ向けの作品を手がけてきた藤城清治氏だ。名前を知らずとも、小人や影絵の絵本の絵に見覚えがある人が多いのではないだろうか。

 

(c)Seiji Fujishiro/HoriPro

 

(c)Seiji Fujishiro/HoriPro

 

藤城氏は、無機質なイメージのあった日本の影絵の世界に「色」と「動き」を持ち込んだ。既に94歳(2019年1月現在)だが精力的に創作活動を続けており、今でも多くの人に感動を与えている。

 

▼藤城 清治氏

©藤城清治美術館公式ページ

 

実際に私は彼の作品や上演で何度も感動させられた。彼の影絵はとにかく奥が深いのだ。今回は、藤城氏の作品の魅力や思いについて私なりの視点でご紹介したい。

 

 

暗闇に映される鮮やかな光と色の芸術

私が小さい頃、大好きだった絵本の一つが藤城氏の影絵で語られる「銀河鉄道の夜」だ。一般的なイラストにはない幻想的で吸い込まれるような世界観に、子供ながらに魅了された。暗闇の中に浮かび上がる鮮やかな色たちは、美しい宇宙の描写を表現するのにぴったりだ。

 

その本は知らぬ間にどこかに行ってしまったが、大人になってからもこの綺麗な挿絵が見たくなり、新しい本を買った。(ちなみに、宮沢賢治が大好きなのでイラストのない単行本も揃っているのだが・・・。)

 

▼「銀河鉄道の夜」(講談社)より

©Seiji Fujishiro/HoriPro

©Seiji Fujishiro/HoriPro

©Seiji Fujishiro/HoriPro

 

日本の影絵に色を取り入れた先駆者こそ、藤城氏だった。光源だけでなくセロファンを重ねて使う事で、繊細な色のグラデーションまで表現するというアイディアだ。

 

彼が使うセロファンは500種類以上。ここまで徹底して使い分け、重ねることで、絵の具で生み出す色の複雑さにも負けないというわけだ。

 

「銀河鉄道の夜」は「影絵“劇”」としても上演されている。静止状態でも非常に繊細で美しいのに、それらを動かして新しい表現を生み出す。彼が影絵劇を考案したのは1950年ごろ。戦後5年しか経っていない時代だ。エンターテインメントも育ちきっていない時代に、影絵が動いて劇として楽しめるとは、誰も想像していなかったに違いない。

 

私はその時代にはまだ生まれていなかったが、小学生の時に家の近くで上映があったので観に行った。動く影絵は静止している影絵とは違った面白さがあり新鮮だった。芸術とエンターテインメントが融合され、子供でも大人でも楽しむ要素が多いのだと思う。

 

▼藤城氏が上演してきた影絵劇「銀河鉄道の夜」の舞台装置

©西日本新聞「ファンファン福岡」

 

子供のころは、ひたすら感動するばかりだったが、彼が影絵に「色」と「動き」を与えた第一人者だと考えると、私は“影絵のイノベーション作品”を観ていたのかもしれない。

 

この「影絵劇」は「銀河鉄道の夜」以外にも作られ、東京都内だけでなく各地で上映されてきた。なかなか劇にはご縁がない私だが、大学の時に都内で上演があると知り、友人を誘って行った。

 

小学校の時に見た影絵劇からさらに進化し、光と影の操り方が工夫されていた。光源の位置や細かな色使いで、光が“深み”と“立体感”を帯びていた。影絵なのに劇場の舞台を覆うほどのスケール感。見たことがない人には想像しがたいのではないだろうか。

 

 

さらに私が感動したのは、新線池袋駅構内で動く影絵を上演した時のことだった。駅の空いている何でもないスペースで行われたもので、誰でも無料で見られる上演会。

 

▼大阪文化館で行われた、回り舞台を使った「ミニ影絵シアター」

新線池袋駅に持ち込まれたものも、似ていたと記憶している。

©大坂ベイ経済新聞

 

そこには小さな子供を連れたお父さん、お母さんがたくさん集まっていた。その動く劇を操っていたのが、藤城氏本人だった。真剣に動かす様子や、子供たちを見る温かい目、劇の後のサイン会の丁寧な対応。

 

その姿からは、本気で影絵を通して感動を伝えたいという思いがにじみ出ていた。

 

 

描かれる自然に込められた“生きる希望”

今までの彼の作品は、メルヘンや童話の世界が多く、独特の世界観が非常に美しかった。ただ彼は近年、90歳近くになって新たな挑戦をしている。それが「自然を描く」ということだ。この自然を描く思いとパワーがまた凄い。

 

2015年に完成した「藤城清治の旅する影絵 日本(講談社)」という影絵集がある。藤城氏が日本各地に出むいて自らスケッチをした風景を影絵で表現したものだ。

 

作品が生まれたきっかけは、広島で行われたサイン会の時に訪れた原爆ドームだった。藤城氏は戦時中、戦いの最前線にいた。原爆ドームの前に立ったら、自分は戦争を体験した数少ない(生きている)人間だから「自然に描きたいというか、自分が描かなければいけないという衝動にかられ」、雨と涙に塗れながら七日間連続でスケッチしたと言う。

 

▼「悲しくも美しい平和への遺産」

戦争が作り上げてしまった原爆ドームだけでなく、平和への願いを込めた色とりどりの折鶴が羽ばたいている。平和への願いと、生きる希望や強さが描かれている名作だ。

©Seiji Fujishiro/HoriPro、日曜美術館放送

 

彼は、現実を通してこそ伝えられることが、まだ沢山あると感じたのだ。

 

本の中には原爆ドーム以外にも、深く訴えかけられる作品がある。

東日本大震災後の姿を描いた「福島原発ススキの里」がその一つ。彼が2011年震災後すぐに現地に行き、寒さと放射線のサイレンが鳴る中で描いた作品だ。

 

▼「福島原発ススキの里」

失われた街だけでなく、川で泳ぐ魚や隅に咲く花を描く事で、「生」への希望が表現されている。

©Seiji Fujishiro/HoriPro

 

▼放射線の線量計が鳴り続けるなか、防護服に身を固めながらデッサンを続ける藤城氏

©ニコニコニュース

 

▼「陸前高田の奇跡の一本松」

話題となった震災で残った一本松の風景。生きる希望の光とともに、小人たちが描かれる。

©Seiji Fujishiro/HoriPro

 

この作品に対して彼はこのように言っている。

 

「人間は叡智とエネルギーと勇気を持って、新しい時を作りあげてゆくときだろう。(画集より)

 

「まだ生きているんだ、これを超えて先へ先への生きていかなければいけない(ゴロウ・デラックス インタビューより)

 

強く生きていきたい(生きていって欲しい)という深いメッセージが、作品から伝わってくる。藤城氏の作品には魂が込められているからか、作品そのものが生きているようだ。

 

100歳近くになっても残る“子供の心”

彼の影絵を生で見たことがない人は、是非一度、美術館に行ってみて欲しい。栃木県那須にある「藤城清治美術館」ももちろん良いし、山梨県昇仙峡にある「影絵の森美術館」も素敵だ。こちらは渓谷を登りきった先の館に彼の作品がたくさん飾られている私のお気に入りの場所だ。

 

圧倒的なサイズの作品が観られるだけでなく、作品を反射する水や波紋、鏡などが工夫して配置されている。鏡を使って“無限に続く影絵”は影絵に無限の可能性を感じる。

 

▼鏡をサイドに使うことで無限に続くように見える影絵

©影絵の森美術館公式ページ

 

先日(2019年1月)栃木県那須にある「藤城清治美術館」は、新美術館を増設すると発表した。

 

既にある美術館だけでは大人数の団体を受け入れることが難しく手狭なのだ。開業は2020年を目指していて、オリンピックで来る人も迎え入れたいと言う。

 

藤城氏は94歳と芸術家としては高齢だ。

しかし「自分の中に子供の心がいつまでも残っている(画集より)」というし、何より彼には伝えたい思いがある。

 

これからも、彼がどんなメッセージのこもった作品を生み出してくれるか楽しみにしている。

Nancy

この記事を書いた人

Nancy

ライター、PRプランナー。 日経BP社「IT pro」のスマートフォン特集、事業会社のトレンドビジネス特集、インタビュー記事など「社会トレンド」「ビジネス」「マーケティング」分野の連載・執筆を担当。 趣味は写真撮影、ビジネス動向ウォッチ、観葉植物を育てること。

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