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2018.12.03

美容に死す? …スキャンダルクイーンの遺言
〜堀江宏樹の世界ビューティー迷子録(6)

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ヨーロッパの歴史の中には、日本史にはいないタイプの悪女を見かけることがあります。

たとえば今回のお話で取り上げるローラ・モンテスは、現在ではマイナーな存在かもしれませんが、19世紀中盤のヨーロッパでは知らないヒトはいないくらいのスキャンダルクイーンなのでした。

 

▲ローラ・モンテス(1821−1861)

 

スペイン風の響きの名前が印象的なローラ・モンテスですが、実際はアイルランド生まれです。生年や経歴に確かなものはありません。

おそらく16歳の時にイングランドの軍人と結婚、インドに駆け落ちまでしています。しかし結婚生活は二人がカルカッタに滞在中していた時、破綻してしまいました。

 

その後、彼女はなんとか帰国。1843年のロンドンで「スペインの踊子 ローラ・モンテス」という設定で、生活費を稼ぐために芸能活動に入ったのでした。

ダンサーとしてのローラの得意技は、自分で考案した「タランチュラ・ダンス」でした。

 

 

自らの指をクモに見立て、それらが彼女のナイス・バディを這いまわっているようにセクシーに動かすものでした。つまり踊ってるのは主に指だけという、おそまつな芸風ですが、その稚拙さが逆に殿方には受けました。

 

こうして何人ものパトロンがつき、著名人の愛人となり、彼女はイギリスからヨーロッパ全土の社交界に羽ばたきます。

 

愛人として各国を回り、最終的にたどり着いたのは…

1846年には現在のドイツ、ミュンヘン地方にあったバイエルン王国のルートヴィヒ1世の愛人となっています。離婚歴のあるセクシーダンサーのローラ・モンテスは、まじめな家庭生活を重んじるバイエルン国民にとって非常にうさんくさい存在でした。

 

そもそもルートヴィヒ1世の愛人になる時も、彼女の胸があまりに豊かなので「それ本物?」と聞かれたとたん、下着の前をパーンと開いて胸の実物を見せるという度胸を買われたからとの逸話があるくらいですから。

 

彼女は老国王からかわいがられ、伯爵夫人の身分に加え多額の年金を受け取るようになります。しかし彼女は国民から嫌われ、約2年後にはバイエルンに革命が勃発。老国王は退位、ローラ・モンテスは国外追放されてしまったのでした。

 

やがてローラ・モンテスはヨーロッパの地位ある男を手玉に取り過ぎたため、愛人業がたちいかなくなり、セクシーダンサーに復帰。アメリカに渡ります。

 

しかしアメリカでの活動は、ヨーロッパでの華やかな恋の日々を自作自演で演じるという、えげつないものでした。当初は観客を集めましたが、次第に飽きられ、晩年には見せ物小屋の舞台にしか居場所のない芸人にまで彼女は落ちぶれていきます。

 

1851年、残された寿命があと3年という時期の彼女が執筆、出版し、ふたたびその名を世界中に轟かせたのが、美容マニュアル『美しさの鍵』だったのです。

 

イラストレーター/メイミー

 

ということで、やっと美容の話になりましたね!

 

興味深いのは、この本の論調が「化粧品は市販品を買うより自作しろ」という主張にもとづいていることです。19世紀のヨーロッパで当時、使われていた化粧品には、鉛など毒物が盛んに使われていました。

 

これら鉛製品をローラ・モンテスは拒絶するよう、女性たちに忠告しています。それらは「皮膚や神経を冒す」し、「中風になって早死にさせる」ものだともちゃんと書いているんですね。これは現代の医学から見ても、「正解」です。

 

……しかし当のローラ・モンテスがこの本の出版から約3年後、40代はじめと思われる若さで、しかも中風で亡くなっていることは見過ごせません。自分自身の若き日の美容上の過ちを悔いる目的で警告を発していたのかも知れませんね。

 

 

 

 

堀江宏樹

この記事を書いた人

堀江宏樹

歴史エッセイスト。日本、世界、古代、近代を問わず、歴史の持つ面白さを現代的な視点、軽妙な筆致で取り上げている。 近著に『乙女の日本史』シリーズ(KADOKAWAなど)、『本当は怖い世界史』『本当は怖い日本史』『ときめく源氏物語』(三笠書房)、『偉人はそこまで言ってない 歴史的名言の意外なウラ側』(PHP研究所)など。 7月下旬に新刊『本当は怖い世界史 戦慄篇』が三笠書房から発売予定。

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